世紀末のパリに出たものの、鳴かず飛ばずだったミュシャが一夜にしてアール・ヌーヴォーの寵児に躍り出るきっか けとなった作品。
当時すでに生きた伝説となっていた大女優サラ・ベルナールのポスターがなぜ無名のミュシャに発注 されたかについては諸説あるが、いずれにしても1895年の彼女の正月公演のため、前年の暮れに一気呵成に作られたこ とは確かである。
『ジスモンダ』はサラお気に入りの戯作者ヴィクトリアン・サルドゥーの中世を舞台とする宗教劇で、 ジスモンダが手にしたシュロの枝は「シュロの日曜日」というキリスト教の祭日に因む。当時やはりポスター作家として 人気を博していたロートレックにもシェレにもないビザンティン風のエキゾティックな衣裳や、サラの印象的なポーズ、 モザイクを模したレタリングなどが人気の秘密であったと思われる。
《ジスモンダ》の成功でミュシャはサラのいわば「座付きポスター作者」のような存在となり、彼女のため《椿姫》、 《トスカ》、《ハムレット》などのポスターを次々にデザインした。これらは販売用に1000部単位で印刷され、莫大な売り 上げを記録した。
ただしこのポスターはサラの舞台のためでなく、世紀末に刊行された芸術雑誌のためのもの。「羽根ペン」 を意味する「ラ・プリュム」は文芸・美術の総合誌で、このポスターは同誌の1896年12月のサラ・ベルナール特集号のためのもの。 大きな白百合を頭に飾り、正面を向いたサラはロシア・イコンのような風情である。左右に翻り、波打つロングヘアはアール・ヌーヴォーそのものであり 、同時にミュシャのトレードマークでもある。ミュシャが最初の本格的な個展を開いたのも、この雑誌社に併設されたギャラリーであった。
膝に乗せた大きな画帳を開いた美女が正面を見つめている。どこかうつろな、文字通り「夢想」と呼ぶにふさわしい眼差しであるが 、彼女の衣裳の縫い取りの装飾はフランス的というより明らかにオリエンタルであり、ミュシャの祖国モラヴィア、ボヘミアのそれを思わせる。 キリスト教美術でキリストや聖人の頭部を囲む円光(光輪)の拡大版ともいうべき大きな円が彼女を囲んでいるが、これはミュシャが好んだモチーフで、 他の作品にも再三登場している。
彼女の頭部や全身を囲む、今を盛りと咲き誇る花は、画面の華やぎをいやが上にも高めているが 、円の内部から外部に向かう抽象的かつ装飾的な曲線も注目に値する。美人画と花鳥画を合わせたような典型的な「ミュシャ様式」の作品といえよう。
「ジョブ」はタバコの巻紙の製品名で、旧約聖書にある同じスペルの「ヨブ記」(Job、英語読みでは「ジョブ」)とは関係ない。 タバコそのものではなく、その巻紙の宣伝ポスターというのも当時ならではである。商品の宣伝ポスターの場合、当然その商品が焦点となるが、 タバコの巻紙では「絵にならない」。そこでミュシャが選んだのは、ジョブで巻いたタバコを吸い、陶然となる美女であった。
タバコから立ち上る煙は文字通り「紫煙」として画面の上の枠いっぱいに広がっている。ミュシャ好みの美女であるが、 ある意味でここでの主役は《『ラ・プリュム』誌版アート・ポスター:サラ・ベルナール》以上に強調された波打つロングヘアである。 JOBの文字や、ジグザグのモチーフを繰り返した枠の部分は、これまたミュシャにしばしば見られるビザンティンのモザイクの応用である。
泡立つ大きなジョッキを抱えて上機嫌の女性の頭は赤いケシの花や、ビールの原料となる大麦の穂、ホップなどで飾られている。 ケシはアヘン、モルヒネの原料ともなるところから、しばしば死や眠りのシンボルともされるが、 ここではもっぱら装飾的なモチーフとして登場しているようである。この女性は現実の女性というよりベル・エポックに よみがえった酒の神バッカスの女性版ともいうべき印象が強い。《ジョブ》にも見られる優美な曲線を描きながら流れ落ちる彼女のロングヘアは、 ミュシャのトレードマークとして一世を風靡した。画面下部にはモノクロでビール工場とムーズ川を表す女性の寓意像が描かれているが、 この部分はミュシャではなく別人の手による。
四季を1年のサイクルとして絵にすることは古くから行われていたが、当然のことながらそこでは季節感をいかに出すかがポイントとなる。 ミュシャの絵で「季語」に当るのは、「冬」の雪は一目瞭然として、「夏」は大きな赤いケシの花と、「夏」が足をひたしている冷たく心地よい水である。 「春」では春らしい花の咲く中、小鳥たちがさえずっている。「秋」は女性が手にしているブドウが季語である。いずれにも共通しているのは、 たとえば夏=青年、冬=老年の見立てから夏を青年、冬を老人として描く場合もあるが、ミュシャらしく、またベル・エポックにふさわしく、 ここではすべて若い女性が季節として擬人化されている。これらのシリーズは1枚ずつバラして、四季それぞれのカレンダーにしたり 、商品の宣伝ポスターに転用することもあった。
西洋美術にはアレゴリー(寓意画)という、日本美術にはないジャンルがある。シンボル(象徴)は仏教美術をはじめ、日本美術にも頻繁に登場するが、 いわゆる擬人化の手法を使い、抽象的な観念、概念(愛、正義、運命、時間など)を表すアレゴリーは西洋特有といってもいい。 これも様々なジャンルの芸術を擬人化したもので、《ダンス》、《絵画》、《詩》、《音楽》、4点で1セットになっている。 「絵画」のアレゴリーの場合、伝統的なパターンではパレットや絵筆をもった人物が登場することが多いが、 ここでは若い女性は赤く咲く花をじっと見つめているだけである。古来絵画とは「自然の模倣・再現」と考えられてきたので、 この花は画家が模倣すべき自然のシンボルとして登場しているのであろう。
主題としてはミュシャには珍しく天体をモチーフとした連作である。すなわち「明けの明星」、「宵の明星」、「北極星」、 それと「月」の4点であるが、いずれにしても月や星の見える時間帯でもあり、ミュシャにはめずらしく画面全体がほの暗いダークグレイに包まれている。 《月》では冴え冴えとした三日月を背にした少女が、はにかむような表情で口に手を当てている。小さな星の輪がいくつも付いた衣裳の色は夜にふさわしく暗いが、 これを中和するように彼女の頭部は美しい花輪で飾られている。ミュシャの他の作品同様、《月と星》でもそれぞれの人物はくっきりとした輪郭線でかたどられている。
トパーズ、ルビー、アメジスト、エメラルドの4点で1セットの宝石シリーズである。それぞれの画面には髪型も衣裳も異なる4人の美女が登場しているが、 《ルビー》以外は手に宝石を持っているわけでもなく、したがってどの画面がどの宝石に相当するかは厳密には決めにくい。ただ、 人物の下に添えられた花や植物の色がアメジストの紫だったり、エメラルドの緑だったりするのが手がかりにはなっている。 《ルビー》の場合、女性が手にしたアクセサリーからも、またその前の赤い花からもこれがルビーであることは一目瞭然である。 この頃のミュシャは有名な宝飾ブランドのフーケの仕事をしており、レストラン・マキシムのほぼ向かいにオープンした彼の本店のトータルデザインも担当した。 このシリーズもこうした流れの中から生まれてきたものであろう。>